大根川(だいこんがわ)は、福岡県古賀市を流れ玄界灘に注ぐ二級河川。下流部は花鶴川(かづるがわ)とも呼ばれる。

大根川
大根川
水系 二級水系 大根川
種別 二級河川
延長 11.0 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 12.6 km²
水源 西山
(福岡県古賀市薦野)
水源の標高 645 m
河口・合流先 玄界灘
(福岡県古賀市古賀)
流域 日本の旗 日本
福岡県古賀市
地図
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地理 編集

福岡県古賀市薦野の西山(鮎坂山)に源を発し西に流れ、古賀市古賀より玄界灘に注ぐ。(古賀市花鶴丘で支流谷山川合流し花鶴川と名を変える。)[注釈 1]

主な支流 編集

  • 谷山川 - 延長6.96km[1]
  • 青柳川 - 延長3.23km[1]
  • 薬王寺川 - 延長3.89km[1]
  • 米多比川[注釈 2] - 延長1.77km[1]

流域の自治体 編集

福岡県
古賀市

名称の由来 編集

平安時代空海(弘法大師)諸国行脚の途中に筵内に寄った時に「南無阿弥陀仏」(空海は真言宗なので鎌倉時代に親鸞が開祖である浄土真宗の念仏を唱えるわけがないので信ぴょう性はない)と唱えながら金剛杖をついた空海が大根川の上流に差し掛かり、空腹になったので橋の上から水面を眺めていたら、1人の老婆が大根を洗っていたので、分けて欲しいと頼んだが老婆は空海が偉い僧侶と知らず、またみすぼらしい格好だったので、怒って川の水を掛けた。空海は吃驚したが、もう1度頼んだ。しかし、老婆は顔を真っ赤にして石を投げ、その石が空海の顔に当たって血が流れた。空海は静かに「人面如夜叉」と唱え、杖を3度地面についた。空海は見た目だけで相手を判断して応対する態度に激怒し、戒めのために大根川の水を干上がらせてた。この逸話から「大根川」という名前がついた。それからの毎年大根を洗う季節になると筵内では老婆の戒めのために水が表面を流れなくなるという[2]

水害 編集

1953年(昭和28年)6月の西日本水害では大根川などの氾濫により古賀市において床上浸水133棟、床下浸水328棟、被災者総数2,313人もの被害があった。1985年1999年にも豪雨による被害を受けている[3]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 2020年現在、河川名表示板は下流部も大根川となっており福岡県土整事務所の資料等でも花鶴川の名称は使用されていないが、過去には石ヶ崎橋、古賀橋付近には花鶴川の表示板が存在していた。
  2. ^ 住所:古賀市米多比の読みは(ねたび)。「大根川水系河川整備基本方針」では(めたびがわ)の読みが示されている。

出典 編集

外部リンク 編集