大橋 幡岩(おおはし はたいわ、1896年3月17日 - 1980年12月23日)は、日本のピアノ調律師ピアノ製造技師である。

人物・略歴

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1896年静岡県磐田に生まれ、1909年に日本楽器製造株式会社(現・ヤマハ株式会社)に入社。ピアノ技術者の始祖といわれる山葉直吉の弟子となる[1]。日本楽器在職中はピアノ研究所長などを歴任したが、1937年には小野ピアノ製作所の工場長に就任し、ホルーゲル(HORUGEL)ピアノの設計と製作にあたる。

1948年に浜松楽器製作所役員に就任し、ディアパソン(DIAPASON)の第1号を完成させた[2]1958年、大橋ピアノ研究所を設立し、「オオハシ」(OHHASHI)のブランドで製作する[3]

1980年、84歳で死去。

その他

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大橋ピアノの最後の一台は今出川ハンマー製作所の社長である今出川寛に送られ、同社の事務所内に置かれている[4]

脚注

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  1. ^ 『楽器の事典 ピアノ』東京音楽社、1982年、ISBN 4-88564-036-9:319頁「日本の名調律師」
  2. ^ 株式会社ディアパソン. “歴史と伝統”. 2016年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月28日閲覧。
  3. ^ 『日本のピアノ100年』草思社 2001年 ISBN 4-79421086-8 119頁「東京楽器研究所の創設」
  4. ^ 【今出川ハンマー #2 】ピアノの音を生み出すハンマー造りに密着!さらに大橋ピアノ最後の一台も登場!? - サンピアン

関連項目

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外部リンク

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