大瀧 勝三郎(おおたき かつさぶろう、1848年5月10日嘉永元年4月8日[1] - 1930年昭和5年)12月29日[2])は、明治時代の日本の興行師、職人。

来歴 編集

小野喜三郎の長男として生まれ、大滝勝次郎の養子となる[1]。鬘職人としては、5代目尾上菊五郎9代目市川團十郎らに愛用された。

1902年(明治35年)、婿入り先の弟である新井與四郎(与四郎)の勧めで浅草花屋敷を購入する。新井自身も太神楽興行場明治館の代表を務めていた。

脚注 編集

  1. ^ a b 『人事興信録 5版』(人事興信所、1918年)を88頁
  2. ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』(日外アソシエーツ、1983年)p.94

参考文献 編集

  • 台東区(編)『台東区史3 社会文化編』台東区、1966年