大田 信一(だいた しんいち、1856年6月28日(安政3年5月26日[1])– 1918年大正7年)11月18日[1][2][3])は、明治・大正期の地主、政治家衆議院議員和歌山県海草郡巽村長。

経歴

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紀伊国名草郡重根村(和歌山県名草郡巽村海草郡巽村を経て現海南市[3])で素封家・大田善之助の長男として生まれた[1]

1888年(明治21年)2月、和歌山県会議員に当選し、1890年(明治23年)9月に退職[1][3]。1889年(明治22年)初代巽村会議員に選出された[1][2][3]。1893年(明治26年)5月、巽村長に就任し、1894年(明治27年)6月に辞職[1][2][3]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で和歌山県第一区から出馬して当選[1][2][3]。1898年(明治31年)3月の第5回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。当初は無所属であったが自由党に所属した[1]

1899年(明治32年)9月に再び県会議員に選出され、1903年(明治36年)に再選、1907年(明治40年)9月に満期退職となる[1]。県会議員に通算3期・12年8ヵ月在任し、この間、参事会員を務めた[1][2]。また、1903年に海草郡会議員にも選出された[1][2][3]

脚註

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『和歌山県議会歴代議員名鑑』135-136頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』369頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『和歌山県史 人物』296頁。

参考文献

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  • 『和歌山県議会歴代議員名鑑』和歌山県議会、1969年。
  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。