婉貴妃(えんきひ、満洲語: ᠨᡝᠮᡤᡳᠶᡝᠨ
ᡤᡠᡳᡶᡝᡳ
、転写:nemgiyen guifei、1837年 - 1894年)は、咸豊帝の側室。満洲正白旗の出身。姓はソチョロ(索綽羅)氏。名は招格[1]

生涯 編集

従一品左都御史の奎照の娘。咸豊2年(1852年)、后妃選定面接試験「選秀女」を受けて合格し、「常在」(身分低い妃嬪)となった。同年、貴人に進んだ。咸豊4年12月24日(西暦で1855年)、「婉嬪」に封ぜられた。

同治帝の即位後、皇考婉妃に尊封された。光緒帝の即位後、婉貴妃に尊封された。光緒20年(1894年)5月17日に薨去した。定陵の妃園寝に陪葬された。

伝記資料 編集

  • 清史稿
  • 『晋封索綽羅貴人婉嬪冊文』
  • 『尊封婉嬪索綽羅氏婉妃詔』
  • 『尊封婉妃索綽羅氏婉貴妃詔』

脚注 編集

  1. ^ 『英和年譜』(英和は婉貴妃の祖父)