嬉野 次郎左衛門(うれしの じろうざえもん、? [注釈 1] - 享保10年11月18日1725年12月22日))は、江戸時代中期の商人[2]

経歴・人物 編集

肥前国有田の陶磁器富村勘右衛門手代[2]。 主人の計画で平戸の商人今津屋長右衛門らと共謀し、有田焼インドに密輸出[1]。のち捕えられ、今津屋と共に事件主犯者として処刑された[1]。一説によると、朝鮮人参の密貿易で刑死したという[2]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 生年については貞享3年頃(1686年)とする資料もある[1]

出典 編集

  1. ^ a b c 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『嬉野次郎左衛門』 - コトバンク
  2. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『嬉野次郎左衛門』 - コトバンク