孫英

中国三国時代の呉の皇族

孫 英(そん えい、? - 五鳳元年(254年))は、中国三国時代の皇族。孫登の次男。揚州呉郡富春県の人[1]

生涯

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父の孫登は呉の皇太子だったが、その父である孫権よりも先に死去した。孫英の兄の孫璠、弟の孫希もまた早逝していたため、孫英が後継ぎとなり、呉侯に封じられた。

五鳳元年(254年)秋[2]、孫英は大将軍孫峻暗殺を企てたが、事が発覚し、自殺に至った。その死後、封国も除かれた。

三国志』孫登伝の注に引く『呉歴』によると、孫峻暗殺は前司馬の桓慮という人物が計画し、また孫英の擁立を図ったもので、孫英自身はこのことを知らなかったとも言われる。

出典

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脚注

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  1. ^ 『三国志』呉書 孫堅伝記載、曾祖父の孫堅の本貫
  2. ^ 『三国志』呉書 孫亮