宍人カヂ媛娘

飛鳥時代の女官

宍人 𭬨媛娘[1](ししひと の かじひめのいらつめ、生年不詳 - 持統天皇4年(689年)以降)は、飛鳥時代女官天武天皇の妃の一人で、忍壁皇子磯城皇子泊瀬部皇女託基皇女の生母。父は宍人大麻呂(ししひと の おおまろ)。

宍人𭬨媛娘
ししひと の かじひめのいらつめ

出生 不詳
死去 持統天皇4年(689年)以降
配偶者 天武天皇
子女 忍壁皇子
磯城皇子
泊瀬部皇女
託基皇女
父親 宍人大麻呂
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略歴

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出自である宍人臣は『新撰姓氏録』によると、同じ宍人部の管理者である「膳臣」とともに、孝元天皇の皇子の大彦命の系譜を引いている。大彦命は、崇神天皇10年に北陸に派遣され、『正倉院文書』によると、越前国山背国に「宍人臣」・「宍人」が分布している[2]

大海人皇子(後の天武天皇)の宮人(めしおんな)として仕えていたが、天武2年2月27日673年)以降、天武天皇の後宮に入る。

藤原宮跡から出土した木簡に、「宍人娘」にや氷魚を賜わったという内容のものがあり、この宍人娘は「𭬨媛娘」と推測される[3]

脚注

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  1. ^ 「かじ」は木偏に穀。『釈日本紀』では「擬媛娘」と表記し、『書紀集解』では「𣝅」(木偏に疑)と記す。
  2. ^ 日本書紀』(三)、「岩波文庫」補注p353、1995年。
  3. ^ 木簡の出土した溝は、持統上皇崩御した翌年の大宝3年(703年)に埋められたものと推定される。

参考資料

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  • 『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』(三省堂、1993年) p.603