宝生九郎重英(ほうしょう くろう しげふさ、1900年(明治32年)7月2日 - 1974年(昭和49年)7月18日)はシテ方宝生流能楽師。十七世宗家。本名、宝生勝。

京都市生まれ。宝生嘉内の二男で、十六世宗家宝生九郎知栄の養子[1]。1903年「高野物狂」で初舞台、1909年「猩々」で初シテ。同年一家で東京に移住し、16代目宝生九郎に弟子入り。1917年18歳で宗家を継承、重英。1949年17代目九郎を襲名。1954年「満仲」で芸術祭賞[2]、1954年度芸術選奨受賞(レコード)[1]。1957年日本能楽会結成に伴い同年から日本能楽会会員。1959年度には宝生会が芸術祭賞を受賞[2]

1962年日本芸術院会員。1971年勲三等瑞宝章受章。多くの実力ある門人を育てた。 1937年東京音楽学校の選科で講師[3]、翌年教授。1945年能楽協会初代理事長もつとめた。子に宝生英雄(18代目宗家)[4]、宝生公恵(女性能楽師)。孫に華道家横井紅炎

脚注

編集
  1. ^ a b 宝生九郎(17代目) コトバンク 2024年10月26日閲覧。
  2. ^ a b 文化庁芸術祭賞受賞一覧 | 文化庁”. www.bunka.go.jp. 2024年10月26日閲覧。
  3. ^ 選科能楽に宝生流、長唄に囃子を増設『東京朝日新聞』1937年(昭和12年)2月6日夕刊
  4. ^ 宝生 英雄 ホウショウ フサオ コトバンク 2018年7月9日閲覧。

関連項目

編集