富崎城(とみさきじょう)は、富山県富山市婦中町富崎にあった日本の城山城)。1441年嘉吉元年)に神保八郎左衛門が築いたという。戦国時代には「滝山城」と呼ばれていた。とやま城郭カードNo.21[1][2]

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富崎城
富山県
別名 滝山城
城郭構造 山城
築城主 神保八郎左衛門
築城年 1441年嘉吉元年)
主な改修者 水越氏、上杉氏
主な城主 神保氏、水越氏、寺崎氏
遺構 曲輪
指定文化財 未指定
再建造物 なし
位置 北緯36度38分34秒 東経137度7分4秒 / 北緯36.64278度 東経137.11778度 / 36.64278; 137.11778座標: 北緯36度38分34秒 東経137度7分4秒 / 北緯36.64278度 東経137.11778度 / 36.64278; 137.11778
地図
富崎城の位置(富山県内)
富崎城
富崎城
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概要 編集

神保氏の重要拠点として機能していたが、永禄年間(1558年~1570年)に上杉謙信に攻められ落城した。元亀年間(1570年~1573年)には水越氏が一向一揆と共に立て籠もったが、再び上杉勢に攻められて落城し、上杉氏により破却された。その後再び改修されて上杉側が使用し、寺島盛徳(牛介)兄弟などが立て籠もって佐々成政に抵抗した。

富山市立城山中学校は、この城山のふもとに位置するために「城山」中学校という。なお、付近の地名に「城山」は存在せず、地域名が学校名とはなっていない珍しい学校でもある。

国の史跡安田城にある安田城跡資料館では、当城の縄張り図が入手出来る[3]

脚注 編集