寧州(ねいしゅう)は、中国にかつて存在した晋代から南北朝時代にかけて、現在の雲南省一帯および貴州省西部に設置された。

概要

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271年泰始7年)、益州建寧郡興古郡雲南郡交州永昌郡の合わせて4郡を分割して寧州が立てられた。283年太康3年)、寧州が廃止され、益州に編入され、南夷校尉に管轄された。303年太安2年)、再び寧州が置かれた。建寧郡の西部7県を分離して益州郡が立てられた。308年永嘉2年)、益州郡が晋寧郡と改称され、牂牁郡を分割して平夷郡夜郎郡が立てられた。寧州の地は成漢李特に領有され、後に李寿により寧州の興古・永昌・雲南・朱提越巂河陽の6郡を分離して漢州とした。338年、牂牁・夜郎・朱提・越巂の4郡を分離して安州を置かれた。342年、安州を廃止して寧州に編入し、越巂郡を益州の属郡にもどされ、永昌郡を廃止した[1]347年永和3年)、東晋桓温が成漢を滅ぼすと、再び寧州が置かれた。

南朝宋のとき、寧州は建寧・晋寧・牂牁・平蛮・夜郎・朱提・南広建都西平西河陽東河陽・雲南・興寧・興古・梁水の15郡81県を管轄した[2]

南朝斉のとき、寧州は建平・南広・南朱提・南牂牁・梁水・建寧・晋寧・雲南・西平・夜郎・東河陽・西河陽・平蛮・興古・興寧・西阿・平楽・北朱提・宋昌・永昌・益寧・南犍為・西益・江陽・犍為・永興・永寧・安寧・東朱提・安上の30郡を管轄した[3]

554年廃帝3年)、西魏により豳州寧州と改称される[4]と、南中の寧州は南寧州と称されるようになった。

脚注

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  1. ^ 晋書』地理志上
  2. ^ 宋書』州郡志四
  3. ^ 南斉書』州郡志下
  4. ^ 周書』文帝紀下