月岡雪鼎または雪鯨斎英信の門人といわれる。一説によると、岡本昌房の門人ともいわれる。安堂寺町、車町、高麗橋一丁目を経て晩年は木挽町中之丁に住んだ。天明(1781年-1789年)頃から没年まで主に絵本や芝居番付などを描き、少数の役者絵を残した。天明元年(1781年)刊行の『絵本武藏山』三冊、寛政元年(1789年)刊行の『絵本武勇大功記』三冊、刊行年不明の『絵本万八噺』一冊などが良く知られている。寛政2年(1790年)死去。
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