小田桐 政信(おだぎり まさのぶ、慶応2年10月5日1866年11月11日[1]〉 - 1945年昭和20年〉5月[2])は、明治から昭和時代戦前の実業家政治家青森市会議長。

経歴 編集

青森県士族の小田桐伊三郎の長男として生まれ、1897年明治30年)家督を継ぐ[1][3][4][5][6]。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業し、1895年(明治28年)青森警察署に出仕する[1]

青森製材製柾社長、青森製氷・函館運送社・青森運送合同・運送相互保証各取締役、青森薪炭監査役などを歴任し、のち推挙され青森市参事会員となる[3][4][5][6]。ほか、1941年(昭和16年)8月に青森県会議員に当選した[1]。のち青森市会議長在任中に死去した[2]

脚注 編集

参考文献 編集