小針 頼広(こばり よりひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将白河結城氏の家臣。

 
小針 頼広
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正16年(1588年
別名 小四郎
官位 山城守
主君 小峰義親
氏族 小針氏
父母 結城晴綱
兄弟 中畠晴常頼広結城義顕小峰義親?
政頼
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略歴 編集

結城晴綱の庶子として誕生。小峰義親の異母弟ともいわれる。

頼広は始め滑津城主を務めたが、後に物見館を築城し、天正初年に滑津から居を移したとされる。

天正16年(1588年)に死去し、子・政頼が跡を継いだが、天正18年(1590年)の奥州仕置で主家と共に没落した。

政頼の子孫は帰農して、中畑村庄屋を務めたという。

出典 編集

  • 『矢吹町史』第1巻 通史編
  • 『目で見る矢吹町史』
  • 『白河結城家とその家臣たち』