山崎 一保(やまざき かずやす、1882年明治15年)5月 - 1944年昭和19年)3月21日)は、日本実業家東洋綿花代表取締役会長や、輸出綿糸布同業会会長を務めた。

人物・経歴編集

東洋綿花児玉一造を補佐し、1930年には児玉の後任として専務取締役に就任。同年に児玉が死去すると1934年からは後任として代表取締役会長を務め[1][2][3]輸出綿糸布同業会会長も兼務し、日蘭会商への対応にあたるなどした[4]

親族編集

妻幸は、在ベルギー一等書記官外務大臣官房翻訳課長等を務めた竹村本五郎の二女[5]

脚注編集

  1. ^ 「第四章血盟団事件:またもや暗殺」,田中健之『昭和維新: 日本改造を目指した"草莽“たちの軌跡』学研プラス
  2. ^ 「相場師列伝 フォローする 山崎一保氏 綿花ひと筋、黄金期の参謀 市場経済研究所代表 鍋島高明」 2018/7/14 5:30日本経済新聞 電子版
  3. ^ 「(株)トーメン『翔け世界に : トーメン70年のあゆみ』(1991.02)」渋沢社史データベース
  4. ^ 籠谷直人日蘭会商(1934年6月‐38年初頭)の歴史的意義 ―オラ ンダの帝国主義的アジア秩序と日本の協調外交―『人文学報」第81号 (京都大学人文科学研究所)
  5. ^ 竹村本五郞 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)


先代:
児玉一造
東洋綿花会長
1934年 - 1936年
次代:
権野健三