山田千疇
尾張国中島郡出身で江戸末期から明治初期の国学者
尾張国中島郡中野村において、松平数馬に仕えた数右衛門の子金次郎として出生[1]。歌は木村千斎に師事する[1]。また、国学は植松茂岳に学ぶ[1]。尾張藩に仕え、明倫堂の国学助教見習および神祇改役見習を歴任する[1]。廃藩置県により、失職したのち教導職へと転じ、私塾を開いた[1]。旧蔵書および自筆稿本を中心に260点が名古屋市蓬左文庫に寄託されている[2]。
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