岡本 鶴蔵(おかもと つるぞう)は、日本大工塩飽諸島出身で、明治時代、主に日本ハリストス正教会の施設建物を施工した[1]。正教会信徒としてワシリーの名を授けられる。

来歴 編集

一説によれば[誰によって?]箱館ニコライ・カサートキンと出会い、会津藩士の長郷泰輔(旧姓古田)[2]らとともに信者になった。1872年、ニコライが東京に移る際に同行し、駿河台に教会施設を建設した。

東京復活大聖堂(ニコライ堂)の建設では長郷が総工事監督、清水組が請け負い、岡本が木工事を担当した。

仙台の聖堂建設では、聖ニコライから渡された参考設計図譜をもとに設計図面を作成した[3]

茅ヶ崎市にあった南湖院の建物の建設にも関わった[3][4]

脚注 編集

  1. ^ 泉田英雄. “日本ハリストス正教会の聖堂建築の研究”. 近代建築史研究と建築修復保存. 2019年3月6日閲覧。
  2. ^ 日本正教会編輯局『日本正教会傳道誌』1901年、p.123. 「然るに掌院ニコライ師は、横濱よりその従者(古田泰輔、後イリヤ長郷)をして上京せしめ」
  3. ^ a b 泉田英雄. “日本のハリストス正教会聖堂建築概論:河村伊蔵から内井昭蔵へ手わたされたもの”. 近代建築史研究と建築修復保存. 2019年3月6日閲覧。
  4. ^ 病棟の建設(第三病舎)”. 南湖院の歴史. 茅ヶ崎太陽の郷 (2018年10月7日). 2019年3月6日閲覧。

参考文献 編集

  • ニコライ 著、中村健之介 監 訳『宣教師ニコライの全日記』教文館、2007年7月3日。ASIN 4764235013ISBN 978-4-7642-3501-4NCID BA82618541