岩田 幸雄(いわた ゆきお、1937年1月27日[1] - )は、山口放送 (KRY) の代表取締役会長である。

いわた ゆきお

岩田 幸雄
生誕 (1937-01-27) 1937年1月27日(87歳)
職業 テレビディレクター
実業家
肩書き 山口放送
テレビ制作局長(後に取締役)
常務取締役総務本部長
専務取締役総務本部長
代表取締役社長
代表取締役会長
KRYプロモーション
代表取締役社長
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経歴 編集

1959年4月に山口放送に入社[1]

1988年7月からテレビ制作局長を、1989年6月から取締役テレビ制作局長を、1993年6月から常務取締役総務本部長を、1999年7月から専務取締役総務本部長を務めた後、2006年6月に山口放送の代表取締役社長に就任。2018年6月から子会社であるKRYプロモーション(山口放送本社内)の代表取締役社長を務めた後、2019年6月に山口放送の代表取締役会長に就任した[1]

制作・業績 編集

山口放送初の日本民間放送連盟賞受賞作である『29年目の戦傷』(山口県柱島沖で爆沈した戦艦陸奥の引き揚げをテーマにした作品)にディレクターとして携わり、1972年に第20回同賞のテレビ社会番組部門で優秀賞を受賞した[2][3]。“陸奥もの”としては7本目の作品であり、3年半に及ぶ取材の中で8本の番組をつくっている。

また『聞こえるよ母さんの声が… 原爆の子・百合子』の企画にも携わり、1979年の第27回日本民間放送連盟賞のテレビ社会番組部門で優秀賞を、第34回文化庁芸術祭で大賞を、第19回日本テレフィルム技術賞の撮影部門で奨励賞を受賞した[4][5][6][7]

そして『NNNドキュメント』などで放送され、後に映画化もされた山口放送のテレビドキュメンタリー『ふたりの桃源郷』の制作にも携わった[8]。内容は、老夫婦とそれを支える家族の物語。2008年に日本放送文化大賞を受賞した前作『山で最後を迎えたい ある夫婦の桃源郷』は、夫が93歳で没するまでを描いている。そして最終章は、妻が同じく93歳で亡くなるまでを記録したもので、取材開始から23年間の記録映像を再編集したものに、夫の死からの5年半の映像を加えたものとなっている。その間にディレクターは何人か代替わりし、引き継ぎながらの制作が行われた。3本目の作品である[9]

脚注 編集