広井女王(ひろいじょおう、生年不詳 - 貞観元年10月23日859年11月21日))は、平安時代前期の女官。天武天皇の皇子・長親王の後裔で、従五位上・雄河王の娘。従三位尚侍催馬楽の名手であった。

経歴 編集

天長8年(831年)従五位下、尚膳となる。嘉祥3年(850年)従四位上、権典侍となる。仁寿4年(854年)従三位。天安3年(859年)、尚侍となる。同年10月薨去。ときに80余歳。薨伝には「少くして徳操を修め、挙動礼あり。歌を能くするを以て称せられ、特に催馬楽歌を善くする。諸大夫及び少年好事の者、多く就きて之を習ふ」とある。

また、『和琴血脈』においては、広井女王は嵯峨天皇より伝授され、広井女王から仁明天皇源信[1]へと伝授されている。『河海抄』においては、嵯峨天皇から広井女王へ和琴の曲が伝授され、一時中絶した後、慈賀善門から仁明天皇と源信に伝承されている。

  • 系譜
天武天皇長親王栗栖王 ― 長田王 ― 広川王 ― 雄河王 ― 広井女王

脚注 編集

  1. ^ 『和琴血脈』では、母は広井女王と記される。『三代実録』の薨伝には、母は「広井宿禰」氏とある。

参考文献 編集

  • 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。
  • 藤原茂樹「和琴と催馬楽と : 御遊における源藤氏流および広井女王」(『藝文研究』95巻、2008年12月号)。