広田 米太郎(ひろた よねたろう、1890年1月 - 1948年8月)は、日本のピアノ調律師ピアノ製造技師である。

概要

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長野県出身。日本楽器(現・ヤマハ)東京支店にピアノ調律師として所属していた。後に独立し、福島琢郎と共に東京楽器研究所を創設。

1923年、東京大森にて広田ピアノを設立し、Y.HIROTAのブランドでピアノ製造を開始する[1]。Y.HIROTAのピアノはアップライトピアノが約600台、グランドピアノが70台-80台の製造とされており、ドイツのブリュートナーピアノをモデルに用いられていた[2][3]

1930年に誕生した全国ピアノ技術者協会(現・日本ピアノ調律師協会)の創設時の中心人物の一人でもあり、発足時には杵淵直都中谷孝男らと常任委員に名を連ねた[4]

脚注

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  1. ^ 『楽器の事典 ピアノ』東京音楽社、1982年、ISBN 4-88564-036-9:317頁 日本の名調律師
  2. ^ 『楽器の事典 ピアノ』東京音楽社、1982年、ISBN 4-88564-036-9:214頁 広田ピアノ
  3. ^ 楽器の事典ピアノ 第6章 日本の主要ブランド一覧 5 広田ピアノ 2021年12月3日閲覧。
  4. ^ 『日本のピアノ100年』草思社 2001年 ISBN 4-79421086-8 174頁「第五章 戦前のピアノ黄金時代へ」より引用

関連項目

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外部リンク

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