府川一則 (2代目)

江戸時代末期から大正時代にかけての彫金師

二代目 府川一則(にだいめ ふかわ かずのり、安政2年8月11日1855年9月21日〉 - 大正8年〈1919年1月23日)とは、江戸時代末期から大正時代にかけての彫金師。

来歴 編集

彫金師府川一則(蛟斎北岑)の長男。通称慶三郎、のちに慶之助。徽猷軒、巨外史、文山と号す。父より彫金について師事を受け則重と名乗る。明治9年(1876年)、父一則が没したので家督を相続し二代一則を称す。明治中ごろには本所区本郷区に住んだ。明治31年(1898年)、日本美術院正教員となる。下谷区根岸にて没す、享年65。墓所は谷中墓地、戒名は実相院諦誉一則居士。増上寺雲晴院にも分骨された。

参考文献 編集

  • 若山猛・飯田一雄 『金工事典』 刀剣春秋新聞社、1999年 ※98頁