廓州(かくしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から宋代にかけて、現在の青海省東部に設置された。

魏晋南北朝時代 編集

576年建徳5年)、北周吐谷渾を西方に駆逐すると、河南の地に廓州が置かれた。

隋代 編集

初には、廓州は2郡5県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、廓州の属郡は廃止された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、廓州は澆河郡と改称され、下部に2県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
廓州 澆河郡
洮河郡 達化郡 河津県
達化県
洮河県 安戎県 広威県 達化県 綏遠県

唐代 編集

619年武徳2年)、により澆河郡は廓州と改められた。742年天宝元年)、廓州は寧塞郡と改称された。758年乾元元年)、寧塞郡は廓州の称にもどされた。廓州は隴右道に属し、広威・達化・米川の3県を管轄した[2]760年上元元年)、吐蕃が廓州を攻め落とした[3]

宋代 編集

1099年元符2年)、北宋により廓州は寧塞城と改められた。1104年崇寧3年)、寧塞城が放棄され、同年のうちに奪回されると、再び廓州が置かれた。廓州は秦鳳路に属し、膚公城・米川城・綏平堡・同波堡・寧塞寨を管轄した[4]

脚注 編集

  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 旧唐書』地理志三
  3. ^ 新唐書』粛宗紀
  4. ^ 宋史』地理志三