廣我崎 里右エ門(ひろがさき さとえもん)は、江戸時代の大相撲の第17代大関。番付上は「奥州」頭書。

宝暦13年(1763年)冬場所(10月)、東大関として角界にデビューしたが、取組は千秋楽だけ出場して大童子に敗れたのみであった。次の宝暦14年(1764年)春場所(3月)は一気に東二段目筆頭まで陥落し、その場所も7戦全敗に終わり、結局1勝も挙げられないままたったの2場所で引退となってしまった。

主な成績 編集

  • 通算成績:0勝8敗7休

関連項目 編集

外部リンク 編集