往生院 (熊本市)

熊本県熊本市にある浄土宗の寺院

往生院(おうじょういん)は、熊本県熊本市西区池田にある浄土宗寺院山号は無量寿山。寺号は泰安寺。本尊阿弥陀如来

往生院
所在地 日本の旗 日本 熊本県熊本市西区池田1-2-50
位置 北緯32度49分11.6秒 東経130度42分14.6秒 / 北緯32.819889度 東経130.704056度 / 32.819889; 130.704056座標: 北緯32度49分11.6秒 東経130度42分14.6秒 / 北緯32.819889度 東経130.704056度 / 32.819889; 130.704056
山号 無量寿山
院号 往生院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
正式名 無量壽山泰安寺往生院
法人番号 8330005000277 ウィキデータを編集
往生院 (熊本市)の位置(熊本市内)
往生院 (熊本市)
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本堂前に僧放牛が亡父の供養のために造立した放牛地蔵の6体目と100体目の石仏がある。

歴史 編集

この寺は、安貞2年(1228年)法然の弟子弁長(聖光上人、聖光坊弁長、字は弁阿)が白川の辺に白川山往生院として開山した(創建寺地の伝承地は龍田村、大江町、南千反畑町の3か所がある)。これを加藤清正が古鍛冶屋町に移した。その後、元禄年中(1688年 - 1703年)に飽田郡古町村に替地されたが、堂宇が完成しないうちに、享保9年(1724年)現在地の池田村に移った[1]江戸時代にはこの地域における浄土宗の触頭[2]の任に当たっていた。

往生院は1877年(明治10年)の西南戦争の時、熊本城攻撃の時の薩軍熊本隊本営となった。熊本隊は攻撃中止の変更を受け、吉次に転進した[1]。なお、往生院の隣の光永寺(浄土真宗本願寺派)も、一時薩軍に占領され、戦闘の地になったので、本堂、山門に弾痕が残っている。

境内墓地 編集

境内に往生院の開基弁長(藤原聖光、 - 嘉禎4年/1238)の墓、奥山静叔(せいしゅく、熊本洋医学の振興に努めた)の墓、熊本洋学校の生みの親である横井太平(昭和28年熊本県近代文化功労者)の墓がある。

正清院供養塔がある。正清院は徳川家康の八女振姫で、蒲生飛騨守秀行の妻となった。その姫を徳川秀忠が養女にして加藤忠広に嫁がせた。忠広夫人が母の供養のために建てた。

境内に豪潮(全国に宝篋印塔を2000以上建てた)の宝篋印塔がある。

所在地および交通アクセス 編集

  • 熊本県熊本市西区池田1-2-50
  • バス - 往生院前下車。西へ50メートル。(熊本都市バス、産交バス)桜町バスターミナル14番乗り場から出るバスはすべて止まるので便利。
  • 鉄道 - 上熊本駅下車。ロータリーをすぐ東へ、坂道を上がる。三叉路を左に曲がり、東に進み京町台保育園の北にある。

脚注 編集

  1. ^ a b 高田泰史編著『平成肥後国誌 下巻』平成肥後国誌刊行会、1998年、510頁。OCLC 675406429全国書誌番号:20002904 
  2. ^ 触頭とは、江戸時代に江戸幕府寺社奉行の下で各宗派ごとに任命された特定の寺院のことで、本山及びその他寺院との上申下達などの連絡を行い、地域内の寺院の統制を行った。

関連項目 編集