徳江 八郎(とくえ はちろう、1845年9月(弘化2年8月)-1909年(明治42年)1月)は上野国群馬県の製糸技術者および実業家

とくえ はちろう

徳江 八郎
生誕 柿沼 八郎
(かきぬま はちろう)

1845年9月
上野国佐位郡伊勢崎
(現・群馬県伊勢崎市)
死没 1909年(明治42年)1月
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 伊勢崎周辺における生糸産業の振興
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略歴

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  • 1845年9月(弘化2年8月) - 上野国佐位郡伊勢崎に生まれる。
  • 1873年(明治6年) - 熊谷県佐位郡伊勢崎町に器械製糸共研社を設立する。
  • 1881年(明治14年) - 器械製糸共研社を譲り受け、徳江製糸所と改組する。
  • 1893年(明治26年)8月 - 米国視察のために横浜を出発、9月11日にシカゴへ到着。
    • 同月21日にニューヨーク、29日にワシントンを視察した。日本へは同年11月27日に横浜から帰還。
  • 1894年(明治27年) - 上記の米国視察をまとめた『米国紀行』を刊行する。
  • 1909年(明治42年)1月 - 死去。享年65。

参考文献

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徳江八郎編『米国紀行』(1894年)