愛子宿

江戸時代、現在の仙台市愛子にあった宿場

愛子宿(あやししゅく)は、日本の江戸時代陸奥国宮城郡に置かれた宿場である。仙台藩が設定した西道の宿駅の一つで、現在の宮城県仙台市青葉区愛子中央上愛子下愛子・愛子東のそれぞれ一部にある。

解説

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中世まで、現在の仙台から西に向かう街道としては、青葉山丘陵を越えて蕃山丘陵の北麓にそって蛇行し、南よりに山道に分け入る最上古街道があった。

17世紀初めに仙台藩は、仙台城がある青葉山を通さず、北に迂回して広瀬川沿いに道を開き、愛子盆地をほぼ直線で東西に突っ切る街道を設定した。西道と呼ばれたこの街道に設けられたのが、愛子宿である。中世の町を継承したものではなく、宿駅機能のために近在から移転させて作った町と考えられる。上愛子村と下愛子村の境界で、両村にほぼ半々にまたがる立地であった[1]。東西に延びる道の両側に家並みが並ぶ町であった。

この街道は明治時代から作並街道と呼ばれ、第2次世界大戦後は国道48号に引き継がれ、20世紀末に道路指定の変更で愛子宿の箇所は国道457号になった。仙山線愛子駅から南に少し離れ、鉄道と並行して走る道路が昔の宿場にあたる。

脚注

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  1. ^ 菊地武一「山麓宿場町愛子駅の構造」(東北大学地域社会研究会『宮城県の地理と歴史』第1巻、国書刊行会、1982年)48頁。

座標: 北緯38度16分15.5秒 東経140度45分45.0秒 / 北緯38.270972度 東経140.762500度 / 38.270972; 140.762500