愛敬 元吉(あいきょう もとよし、万延元年(1860年) - 明治9年(1876年10月)は、幕末から明治時代の士族。通称は吉太郎[1]

経歴・人物 編集

肥後国代継宮の祠官愛敬正元の長男[1]国学者林桜園門下の加屋霽堅に学ぶ[1]。明治9年(1876年)神風連の乱に父とともに加わるが敗れ、同年10月自刃した[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『愛敬元吉』 - コトバンク