(ざん)(: hrī[1]、ह्री)は、仏教が教えるのひとつ。「他者の徳に対する恭敬」、もしくは「みずからを観察することによっておのれの過失を恥じること」[2]。自らを顧みて恥じること[3]。しばしば「慚愧」と熟語で用いられる。

仏教用語
hri
パーリ語 हिरि (hiri)
サンスクリット語 ह्री (hrī)
チベット語 ངོ་ཚ་ཤེས་པ།
(Wylie: ngo tsha shes pa;
THL: ngo tsa shepa
)
中国語 慚(T) / 惭(S)
日本語
(ローマ字: zan)
朝鮮語
(RR: cham)
英語 self-respect,
conscientiousness,
sense of shame,
dignity
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ヒンドゥー教においては、10つのニヤマのひとつである。

涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」と説かれている。

脚注

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出典

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参考文献

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  • 中村元他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8 
  • 櫻部建上山春平『存在の分析<アビダルマ>―仏教の思想〈2〉』角川書店角川ソフィア文庫〉、2006年。ISBN 4-04-198502-1 (初出:『仏教の思想』第2巻 角川書店、1969年)
  • 櫻部建『倶舎論』大蔵出版、1981年。ISBN 978-4-8043-5441-5 

関連項目

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