置泥(おきどろ)は、古典落語の演目のひとつ。同演題では、主に東京で演じられる。

上方落語における打飼盗人(うちがえぬすと/うちがいぬすと)もこの項目で記述する。

概要 編集

打飼盗人 編集

打替盗人とも表記する。原話は、1778年安永7年)に出版された笑話本『気の薬』の一編「貧乏者」(忍び込んだ家の極貧ぶりに同情した泥棒が、住人の夫婦に金銭を恵むというもの)[1]。「打飼」とは「打飼袋」ともいい、筒状の布の両端をひもで縛った、単純な形状のカバンの一種のこと。

置泥 編集

『打飼盗人』を、大正末期に東京の初代柳家小はんが移植したもの。夏泥(なつどろ)とも。

主な演者 編集

現役 編集

あらすじ 編集

ある夜、とある長屋のひと部屋で男が眠っていると、戸をこじ開ける音で目が覚める。まもなく、別の男が飛び込んでくる。飛び込んできた男は「静かにしろ、俺は泥棒だ。懐には刃物を持っている」とすごむが、長屋の男はひるむ様子がない。泥棒があっけにとられながら部屋を見回すと、ひどく汚れているうえに家財道具や金品といえるものが何もなく、さらに男がふんどししか身に着けていないのに気づく(このあと、『打飼盗人』では、泥棒が「下見をしたときは金目になりそうなものがたくさんあったのに、なぜこうなったのだ」といぶかしがる。『置泥』および『夏泥』では、泥棒が「こんなところに目星を付けてしまってすまない。俺はこの稼業にまだ慣れていないのだ。見逃してやる」と言って去ろうとする)。

泥棒が男に理由をたずねると、男は「俺は大工だが、博打に熱中し過ぎ、大事な商売道具をに入れてしまった」と言う。泥棒は同情し、道具を請け出すための大金を男に渡す。男が「ありがたいが、道具があっても、作業着の袢纏がなければ結局仕事ができない」と告げるので、泥棒はさらに金を出す。男が「ありがとう、いや、これでもだめだ。長屋の家賃がたまっている」というので、泥棒はまた金を出す。男はそうして少しずつ「それと、友達に借金が……」(『夏泥』の場合は「蚊帳を請け出したい」)などと要求するので、泥棒はしかたなく金を出し続ける。

かなりの大金を男に恵んだ泥棒は、逃げるように長屋を去ろうとするが、男が「おい、泥棒!」と叫んで呼び戻すので、あわてて戻る。「そっちが金を取っておいて、『泥棒』なんて呼ぶ奴があるか」「名前がわからないものだから」「いったい何だ」

「来月、また来てくれ」

バリエーション 編集

  • 上方の『打飼盗人』では、泥棒は義侠心に富んだ人物に描かれ、男がそれに甘える形で金を得ていく。
これに対し東京の『置泥』および『夏泥』では、泥棒は経験が浅い臆病な人物に描かれる。男がはじめ泥棒に「懐に入れているというその刃物で、俺を殺してくれないか」と懇願し、思わぬ事態に狼狽する泥棒から巧妙に金を得ていく演じ方を取る。男の要求を泥棒が渋るたびに男が「殺せ! 殺せ!」とすごみ、男がそのたびにあわてて金を出す、というブラックな演じ方を取る演者もいる。
  • 上方の『打飼盗人』では、上記のあらすじの後、男が長屋の外まで泥棒を叫びながら追いかけ、「カラの財布が、忘れておます」と言ってサゲる演じ方が多い(原話においても、帰ろうとする泥棒に、夫婦が「泥棒!」と大声をかけ、頭に来た泥棒が怒鳴り返すと、夫婦が「煙草入れを忘れています」と言う、という展開である)。演目の成立当初は演題通り、財布ではなく打飼袋を渡す演じ方だったとみられる。
  • 東京の『夏泥』の冒頭部は、『置泥』と異なり泥棒の視点でシーンが展開する。
夏の夜、泥棒が忍び込んだ長屋のひと部屋では、火事になりそうな火が燃え盛っており、泥棒があわてて消すと、それは根太板を壊してすり鉢に入れて火をつけ、蚊遣り火にしていたものだとわかる。泥棒はその直後、寝ていた男を起こし、火の不始末を注意する(男の姿が見つからず、床に空いた穴の底で男が眠っているのを見つける、という演じ方を取ることもある)。
  • 東京の『置泥』および『夏泥』のサゲの男のセリフは多岐にわたる。
    • 「今度は晦日(みそか=月末)にまた来てくんねえ」
    • 「陽気(=季節)が変わったらまた来てくんねえ」
    • 「質入れしたころにまた来てくんねえ」
    • 「おめえの名前がわからねえか」「季節のかわり目ごとに来てくれ」
    • 「たばこ入れが落ちていた」
    • 5代目柳家小さんは「やに下がるんじゃねえや」「無理もねえ。持って来たのがたばこ入れだから」
『打飼盗人』にみられる忘れ物のくだりを演じたのちに、これらのセリフを言う演じ方もある。

脚注 編集

  1. ^ 武藤禎夫『定本 落語三百題』岩波書店、2007年