承俊(しょうしゅん、生年不詳 - 延喜5年12月7日906年1月4日))は、平安時代前期から中期にかけての法相宗

奈良興福寺で出家し、その後東大寺法相唯識を学んだ。威儀師・大威儀師を経て、律師に至る。900年昌泰3年)醍醐天皇が生母である藤原胤子の追善のため勧修寺を建立した時、招かれてその開山となった。