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投石菊治郎(なげいしきくじろう、1837年天保8年〉 - 1887年明治20年〉6月22日[1])は、雷部屋音羽山部屋井筒部屋に所属した力士。5代井筒。最高位は西前頭4枚目。本名は長田菊治郎。讃岐国豊田郡(現在の香川県観音寺市)出身。身長体重は不明。

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来歴編集

1860年3月に雷部屋から初土俵を踏んだ。のちに雷部屋と縁が深い音羽山部屋に転籍し、十両昇進は初土俵から11年が経った1871年3月のことである。十両で4年が経過した1875年4月、東十両筆頭の地位で6勝3敗の成績を上げて同成績の藤田川利助と優勝を分け合い(ただし番付上位の投石が優勝扱い)、1876年1月に新入幕を果たした。1878年に師匠の8代音羽山が亡くなり、1879年1月以降は年寄・井筒として二枚鑑札となった。履歴明確な人物は井筒の襲名者としては初であり、幕内経験者も井筒では初である。1884年5月に46歳で力士を引退して親方稼業に専念したが、3年後に没した。2018年の書籍によると、弟子を養成した形跡はないとある[2][3]

成績編集

  • 幕内18場所37勝77敗50休16分預

改名編集

  • 讃岐川→投石→井筒(二枚鑑札)

出典編集

  1. ^ 井筒 菊治郎 力士情報
  2. ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p68
  3. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709