文治(ぶんち)は、中国後大理国段正厳の時代に使用された元号。1110年 - 年代不詳。

『滇載記』にはこの元号の記載がない[1]。また李兆洛の『紀元編』では広運の後としている。

『南詔野史』『滇雲歴年伝」及び胡氏の『野史』の記載は日新と永嘉の間に設けている[2]

脚注

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  1. ^ 「正嚴以宋徽宗大觀二年立,四十年,改元四,曰日新、永嘉、保天、廣運。避位為僧。傳子正興。死,偽諡憲宗。」s:zh:滇載記
  2. ^ 「和譽,宋徽宗戊子大觀二年卽位。明年,改元日新。又改元文治、永嘉、保天、廣運。」s:zh:南詔野史

参考文献

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  • 『中国歴代年号考』李崇智(中華書局 2004年)

関連項目

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永嘉