日向 三右衛門(ひなた[1]/ひゅうが[2] さんえもん、1865年2月10日(慶応元年1月15日[3])- 1940年昭和15年)1月5日[1][2])は、明治時代の地主政治家貴族院多額納税者議員

経歴 編集

地主・日向勝右衛門の長男[3]として[1]出羽国田川郡落野目村(山形県東田川郡豊栄村、八栄島村藤島町を経て現在の鶴岡市)に生まれる[4]1883年(明治16年)豊栄村の素封家・日向光俊の養子となり[3]家督を継いだ[1]1884年(明治17年)以降、東田川郡御用掛を経て、日本赤十字社山形県委員となり、社会事業家として活躍する[1]1898年(明治31年)には有志とともに羽前織物の前身である荘内羽二重を設立し、同社長に就任した[1][3]

また、1897年(明治30年)山形県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1904年(明治37年)9月28日まで在任[2]。貧民救済、学校の建設などに私財を投じ、1906年(明治39年)には叙勲も受けたがのち没落し[1]、晩年は故郷へ戻り隠棲した[4]。はじめ鼠ヶ関に隠棲したのち上京し同地で死去した[1]

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h 庄内人名辞典刊行会 1986, 545頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 210頁.
  3. ^ a b c d 『人事興信録 初版』1090頁。
  4. ^ a b 高田 1911, 275頁.
  5. ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。
  6. ^ 庄内人名辞典刊行会 1986, 467頁.

参考文献 編集