昌城郡(しょうじょう-ぐん)は中国にかつて存在した郡。現在の中華人民共和国四川省綿陽市遂寧市に比定される[要出典]

西魏により新州の下に設置された。隋朝が成立すると582年開皇2年)に廃止された[1]

下部行政区画

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脚注

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  1. ^ 隋書』巻二十九 志第二十四 地理上「新城郡末置新州開皇末改曰梓。統縣五,戶三萬七百二十七」「郪舊曰伍城。西魏改曰昌城,仍置昌城郡開皇初郡廢。大業初置新城郡,改縣名焉。射洪西魏置,曰射江,後周改名焉。」s:zh:隋書/卷29
  2. ^ 『読史方輿紀要』巻七十一 四川六 潼川州「廢郪縣,〈今州治。縣,屬廣漢郡後漢因之,省。劉宋復置。元嘉十年賊程道養等兵敗,逃入郪山,郪山即郪縣山也。尋分置北武城縣,爲新城郡治,蕭齊因之。始置新州,併郪縣入武城縣西魏又改曰昌城,并置昌城郡。隋郡廢,尋爲梓州治,大業初改伍城曰郪縣,爲新城郡治。」s:zh:讀史方輿紀要/卷七十一
  3. ^ 『読史方輿紀要』巻七十一 四川六 潼川州「射洪縣,〈州南六十里。西北至中江縣百七十里,西南至成都府金堂縣百八十里。漢廣漢、郪二縣地,西魏置射江縣後周改曰射洪,屬昌城郡。隋屬梓州,唐、宋因之。今城周三里。編户三里。」s:zh:讀史方輿紀要/卷七十一