村山 邦彦(むらやま くにひこ、1852年3月7日嘉永5年2月17日[1]) - 1917年大正6年)6月11日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級陸軍少将位階勲等功級従四位勲二等功三級[3]

経歴

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士族・村山嘉内の長男としてのちの広島県に生まれる[1]1873年明治6年)陸軍戸山学校に入学し[1]1877年(明治10年)6月、陸軍歩兵少尉に任官する[4]軍務局歩兵課長を経て、1899年(明治32年)8月、大佐に進級と同時に歩兵第33連隊長に補され、台湾陸軍補給廠長、総務局庶務課長兼機密課長、陸軍省高級副官を経て、1904年(明治37年)9月、陸軍少将に進級と同時に歩兵第21旅団長に任官[4]日露戦争に出征し、大石橋の戦いを敢行[2]奉天会戦でも軍功を挙げた[2]。戦後は1909年(明治42年)9月に休職し、翌年2月、後備役編入となった[2][4]

脚注

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  1. ^ a b c 人事興信所 1903, 626頁.
  2. ^ a b c d 福川 2001, 720頁.
  3. ^ 『陸軍少将村山邦彦外一名特旨叙位ノ件○退職判事小林義夫』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治43年7月11日。
  4. ^ a b c 外山 1981, 38頁.

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738