枇峴郡(ピヒョンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安北道の西部に位置する郡。

枇峴郡
位置
各種表記
チョソングル: 피현군
漢字: 枇峴郡
片仮名転写: ピヒョン=グン
ローマ字転写 (MR): P'ihyŏn kun
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
テンプレートを表示

地理

編集

西に新義州市龍川郡、南に塩州郡東林郡、東に天摩郡、北に義州郡と隣接する。

京義線(現・平義線)は開通当初塩州から北上して枇峴に至り、西に方向を転じて白馬駅を経て南新義州に至っていた。1930年代に沿岸部に本線が移り、この路線は白馬線と呼ばれるようになった。

行政区画

編集

1邑・2労働者区・21里を管轄する。

  • 枇峴邑(ピヒョヌプ)
  • 良策労働者区(リャンチェンロドンジャグ)
  • 白馬労働者区(ペンマロドンジャグ)
  • 広里(クァンニ)
  • 農建里(ノンゴンニ)
  • 堂後里(タンフリ)
  • 台坪里(テピョンニ)
  • 東上里(トンサンニ)
  • 東西里(トンソリ)
  • 蘆中里(ロジュンニ)
  • 龍渓里(リョンゲリ)
  • 龍雲里(リョンウンニ)
  • 龍遊里(リョンユリ)
  • 龍興里(リョンフンニ)
  • 北三里(プクサムニ)
  • 三上里(サムサンニ)
  • 上古里(サンゴリ)
  • 城東里(ソンドンニ)
  • 松亭里(ソンジョンニ)
  • 亭山里(チョンサンニ)
  • 鷲峯里(チュボンニ)
  • 忠烈里(チュンニョルリ)
  • 下端里(ハダンニ)
  • 化三里(ファサムニ)

歴史

編集

現在の枇峴郡の範囲は、かつて平安北道義州郡龍川郡などの一部。1952年に新設された郡である。

年表

編集

この節の出典[1]

  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安北道義州郡枇峴面・月化面・威遠面および古館面の一部、龍川郡東上面および楊光面の一部、新義州市の一部、鉄山郡西林面の一部地域をもって、枇峴郡を設置。枇峴郡に以下の邑・里が成立。(1邑28里)
    • 枇峴邑・下端里・上古里・龍雲里・白馬里・鷲峯里・農建里・蘆中里・堂後里・亭山里・広里・龍遊里・龍渓里・忠烈里・松亭里・城東里・台坪里・良策里・中斉里・郷校里・東西里・三上里・連上里・城下里・龍興里・北三里・南三里・化三里・東上里
  • 1954年 (1邑24里)
    • 南三里が東林郡に編入。
    • 三上里・中斉里・郷校里が新設の光城郡に編入。
  • 1958年 - 連上里が下端里・堂後里・白馬里に分割編入。(1邑23里)
  • 1961年 - 東西里の一部が上古里に編入。(1邑23里)
  • 1963年 - 光城郡三上里を編入。(1邑24里)
  • 1967年 - 龍雲里の一部が北三里に編入。(1邑24里)
  • 1972年 - 良策里および東上里・農建里の各一部が合併し、良策労働者区が発足。(1邑1労働者区23里)
  • 1978年 - 白馬里・城下里が合併し、白馬労働者区が発足。(1邑2労働者区21里)

交通

編集

脚注

編集

外部リンク

編集
北韓ネットでは「被峴郡」の字を宛てているが誤り。