林清一 (アマチュア野球審判)

林 清一(はやし せいいち、1955年5月25日[1] - )は、日本アマチュア野球審判員

林 清一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
生年月日 (1955-05-25) 1955年5月25日(69歳)
選手情報
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

1966年、小学5年生のときに野球チームを結成。翌年には近隣市から選抜されたチームに加わって日本一となり、アメリカのペンシルベニア州で行われた世界大会でも優勝した。高校は早稲田実業に進学。エースとしての活躍を期待されるも、肩を故障し、3年夏は外野手として出場した[1]。さらに野球推薦で入学した早稲田大、静岡県の大昭和製紙でも野球を続け、打撃投手やマネージャーを務めた[1]

1986年に父が経営する林建設に入社。このとき先輩の依頼で東京六大学野球の審判を務め、1991年から高校野球、1994年から社会人野球もと[2]、以後は業務のかたわら年間約60試合の審判を務めるようになった。国際審判の実績もあり、アテネ五輪では野球審判員に選出されている[3]

2012年をもって審判員を引退。その後、一般財団法人日本リトルシニア中学硬式野球協会理事長に就任した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 斎藤寿子「林清一(日本野球連盟国際審判員)<前編>「信念の“延長サヨナラボーク”宣告」」『SPORTS COMMUNICATIONS』2014年5月12日。2024年6月9日閲覧
  2. ^ 「野球のこころ」~甲子園、神宮から明日へ~」『2013稲門祭』。2024年6月10日閲覧
  3. ^ 「生きるって 林清一さん」『東京新聞』2004年8月8日朝刊27面

関連項目

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  • サヨナラボーク - 1998年の夏の甲子園・2回戦でサヨナラボークを宣告した球審が林である。