林 節(はやし たかし 1918年 - 1944年7月29日[1])は、日本の元アマチュア野球選手、マネージャー香川県出身。

来歴・人物 編集

高松中学(現・香川県立高松高等学校)から1938年早稲田大学に入学[1]大学野球の試合の出場機会はなかったが、チーフマネージャーとして裏方からチームを支えた[1]

早大卒業後応召され中国へ従軍。1944年7月29日に、北支新郷にて戦死した。享年26。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている[2]

早稲田大学野球部のチームマネージャーとして、当時2年生で肩を故障した相田暢一にマネージャーへ転進して野球に関わり続けるように説得、相田が裏方として活躍するきっかけとなった[3]

脚注 編集