桃園神社(とうえんじんじゃ)は、日本統治時代台湾新竹州桃園郡桃園街大檜渓(現・桃園市桃園区)にあった神社である。現在は桃園市忠烈祠となっている。日本統治時代の外地の神社では珍しく当時の社殿がそのまま残されており、台湾の国家三級古蹟に指定されている。

桃園神社
桃園神社の拝殿
桃園神社の拝殿(現・桃園市忠烈祠)
所在地 台湾新竹州桃園郡桃園街大檜渓
位置 北緯25度0分22.6秒 東経121度19分31秒 / 北緯25.006278度 東経121.32528度 / 25.006278; 121.32528 (桃園神社)座標: 北緯25度0分22.6秒 東経121度19分31秒 / 北緯25.006278度 東経121.32528度 / 25.006278; 121.32528 (桃園神社)
主祭神 北白川宮能久親王
大国魂命
大己貴命
少彦名命
豊受大神
明治天皇
社格 県社
創建 1938年(昭和13年)
地図
桃園神社の位置(台湾内)
桃園神社
桃園神社
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歴史編集

1930年代、日本は台湾の全ての町に神社を創建する政策をとっていた。台湾の神社のほとんどはこの時期に作られたものである。桃園神社は1936年昭和11年)に創建が決まり、1938年(昭和13年)9月23日に落成、鎮座式が行われた。社格県社で、北白川宮能久親王大国魂命大己貴命少彦名命豊受大神明治天皇を祀っていた。

戦後、桃園神社は新竹県忠烈祠に改称した(当時はまだ桃園県はなかった)。1950年に桃園県忠烈祠となった。中には鄭成功劉永福丘逢甲の像と反清・抗日の殉国の烈士の位牌が置かれた。日華断交後の1974年2月、国民党政府は「日本統治時代の日本の帝国主義的なものは全て取り除く」との命令を発し、それにより各地の神社が破壊された。桃園神社(桃園県忠烈祠)は住民が反対したほか、一部の学者が「神社とはいえ唐風の建物であり、中国伝統建築様式の保存ともいえる。日本による侵略の歴史的証明として残すべきである。」の論述を提出したことからそれを免れ、日本統治時代のままの姿を保った。1985年、政府は忠烈祠を改築するという名分で旧神社の撤去計画を出したが、これも世論と学界の強い反対によって霧散すると、ついに保存が決まった。翌年から886万元をかけて修復を行うことなり、1987年1月30日に完成した。1994年2月15日、国家三級古蹟に指定された。

外部リンク編集