横山時広

平安時代末期、鎌倉時代前期の横山氏の武将。

横山 時広(よこやま ときひろ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての横山氏の武将。横山氏は元は小野朝臣姓だったため、小野 時広(おの の ときひろ)とも言う。

 
横山時広
時代 平安時代後期 - 鎌倉時代初期
生誕 不明
死没 不明
別名 小野時広
主君 源頼朝頼家実朝
氏族 小野姓横山氏
父母 父:横山時重
兄弟 時広椚田重兼海老名重経
女(和田義盛室)、女(渋谷高重室)
時兼平子広長田名広季平山時季
時隆
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略歴 編集

武蔵国多摩郡(現東京都八王子市横山荘を中心に、勢力を持っていた武蔵七党のひとつ横山党に生まれる。

源頼朝鎌倉幕府を開くと、横山党の横山時広は軍功により横山荘の所領を安堵された。文治5年(1189年)の奥州合戦でも鎌倉幕府の将として活躍。藤原泰衡を討った後、その首を掲げることを許された。これは永承6年(1051年)の前九年の役で、時広の祖先である横山経兼が、敵総大将であった安倍貞任の首を掲げた故事に倣ったものである。

系譜 編集

参考文献 編集

関連項目 編集