武内 哲夫(たけうち てつお、1896年(明治29年)9月[1] - 没年不詳)は、日本満洲国蒙古官僚

経歴 編集

秋田恒五郎の三男として福岡県に生まれ、武内謙介の養子となる。1915年(大正4年)福岡県立中学修猷館[2]、1919年(大正8年)7月第五高等学校政治科[3]を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業[4]

内務省に入省し、大阪府において警察署長、警視庁において交通課長、長野県において内務部地方課長・農商課長などを務めた後、満洲国に渡り、国務院民生部において警務司司法科長・地方司総務科長、国務院内務局管理處長、錦州省次長、総務庁参事官などを務める[1]

1941年(成紀(成吉思汗紀元)736年)10月蒙古聯合自治政府内政部次長兼中央警察学校長、中央青年指導員訓練所長を経て[1]、1942年(成紀737年)12月蒙古聯合自治政府総務庁長に就任[5]。1944年(成紀739年)6月退任[6]

脚注 編集

  1. ^ a b c 『大衆人事録第14版 外地・満支・海外篇』(帝国秘密探偵社、1943年)支那81頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員11頁
  3. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校編、1936年)280頁
  4. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正9年至大正10年)』(東京帝国大学、1921年)學生生徒姓名25頁
  5. ^ 『人事興信録第14版』(人事興信所、1943年) タ-203頁
  6. ^ 秦郁彦編『世界諸国の制度・組織・人事 1840-2000』(東京大学出版会、2001年)