毛抜形刀(けぬきがたとう)は、平安時代前期に蝦夷俘囚)が用いた刀である。

太刀の原型となった刀 編集

毛抜形刀は、9世紀末の東北蝦夷が開発した。

毛抜形蕨手刀蕨手刀の改良刀)から毛抜形太刀日本刀の原型)への発展段階の中間に位置し、同様に、柄(鉄製)と刀身とが接合され一体となるよう作られている(共鉄造り)。

刀身の長さは50センチ程度であり、まだ太刀の基準を満たしていないため、毛抜形と呼称される。

出土例は北海道秋田県に一点ずつであり、資料的には少ない。秋田県のものは、元慶2年(878年)の出羽国俘囚の乱で俘囚勢力が用いた刀とみられる。

彼らに苦戦した内国武人達は、これをきっかけとして、俘囚の戦術・武器を参考にしたものと考えられる。

毛抜形太刀への発展 編集

この刀を内国の武人・武官が参考にして、毛抜形太刀へと発展させ、刀身長は70センチほどになった。これは、騎馬戦で斬撃の威力をより求めた坂東の要望に合わせたためとみられる。

柄頭の蕨形装飾の廃止 編集

それまでこの刀の系統の名の由来でもあり、200年近くにわたって柄頭の装飾だった蕨形の飾りが廃され、方形となった(そのため、名称から蕨手の二字が抜ける)。

柄頭の蕨形装飾は、柄から手が滑らない役割も果たしていたが、装飾が廃されたことにより、柄頭で相手を打ちつける動作が可能になった。結果からすれば、その後の武術にも影響を与えた変化と言える。外観より実用性に重きを置く過程とも捉えられる。

参考文献 編集

  • 下向井龍彦 『日本の歴史07 武士の成長と院政』 2001年 講談社

関連項目 編集