没日(もつにち)は、太陰太陽暦における暦注の1つ。(ぼつ)と略する場合もある。

概要 編集

理想上の1年=12か月=24節気=360日(1か月=2節気=30日)と、暦法上の章歳(=1太陽年[1]宣明暦では365日+2055/8400(約365.2446日))との間で発生する余分の差(通余)を累積させて、1日分に達する日を没日とする(実際上の計算では、1年に生じる差である5日+2055/8400(5.2446日)を365日+2055/8400(約365.2446日)にて割って、その商を1日ごとに累積させてゆくことになる[2])。

約69.64日周期、すなわち69日か70日に1度到来する[3]ことになり、この日は滅日とともに陰陽が不足しており何事にも大凶であると考えられ、政務や仏事をはじめ、爪切りや沐浴に至るまで多くの行事を行うことが避けられた。また、○月×日から□日間などといったある時点からの日数計算において決定される行事や暦注の算出の場合には計算から除外された(例えば、1月1日から10日間を数える場合、途中に没日が含まれればこれを数えず、1月10日ではなく11日までとされる)。また、没日そのものは「1年=12か月=24節気=360日(1か月=30日)」の調和された姿であってほしいという人々の暦に対する理想と「1年=12もしくは13か月=365日余り」と言う現実の暦とのギャップの解消もしくは納得させるために導入された概念であって、実際の天体現象とは全く無関係なものである。

江戸時代貞享暦改暦の際に暦注から除かれて、以後用いられなくなった。

脚注 編集

  1. ^ 太陰太陽暦の場合、閏月が存在しているために1暦年と1太陽年が合致することは無い。従って、ここで取り上げられるのは実際に用いられた12か月もしくは13か月の暦上の1年ではなく、24節気が循環する期間のことを指す。
  2. ^ もう少し分かりやすく解説すれば、1日を8400単位(暦学では「分」を用いる)とした場合、理想上の1年は3024000単位、宣明暦の章歳は3068055単位であるため、1年間で44055の余分(通余)が生じる。これを3068055で割って8400を掛けることで導き出される1日あたりの通余は120.6177余りとなる。この120.6177余りを積み重ねてゆくと、約69.64日で1日分(8400)に達することになる。その到達時が属する日を没日とするのである。(参照:湯浅吉美論文)
  3. ^ なお、日本最古の暦注解説とされる『簠簋内伝』には、没日を70日もしくは71日と記しているが、これはの概念が定着しておらず、没日当日を1日目とした当時の数え方であり、現在の日数計算では69日もしくは70日が正しいことになる。

参考文献 編集

  • 小坂真二「没日」(『国史大辞典 13』(吉川弘文館、1992年) ISBN 978-4-642-00513-5
  • 内田正男「没日」(『日本史大事典 6』(平凡社、1994年) ISBN 978-4-582-13106-2
  • 佐藤均「没日」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7
  • 湯浅吉美「宣明暦の没日・滅日について」(初出:『埼玉学園大学紀要』人間学部篇第2号(2002年12月)/所収:湯浅『暦と天文の古代中世史』(吉川弘文館、2009年) ISBN 978-4-642-02474-7