河原 直孝(かわはら なおたか、1873年明治6年)11月5日[1][2] - 1945年昭和20年)7月2日[3])は、大正から昭和時代前期の政治家実業家北海道小樽市長。

河原直孝

経歴・人物

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河原一郎の長男として石川県金沢城下に生まれ、1922年(大正11年)家督を相続する[1][2][4][5]1897年(明治30年)7月、第四高等学校大学予科第一部を修了後、1903年(明治36年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、1905年(明治38年)4月に北海道庁立小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)の嘱託教員となる[1][2][4][5]

実業界に転じ、小樽電気・北海道精米・小樽電燈などの取締役を務め、さらに、小樽商業会議所議員、小樽区会議員などを歴任する[1][2]。市制施行すると、1922年(大正11年)10月、小樽市会議員に就任し、同議長を兼任した[1]

北海道桐材、小樽荷札印刷、北海製氷、北海道無煙炭鉱、北海道土木建築、札幌温泉土地、北海水力電気などの各社の社長を務める傍ら、小樽商工会議所会頭などの要職を歴任[1][4]1938年(昭和13年)4月5日、推挙され小樽市長に就任した[1]。小樽市長は1945年(昭和20年)5月まで務め、退任後の7月に死去した。

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 帝国自治協会 1938, 3頁.
  2. ^ a b c d e 人事興信所 1915, か56頁.
  3. ^ 「河原直孝」『朝日新聞』1945年7月7日、2面。
  4. ^ a b c d e 人事興信所 1928, カ200頁.
  5. ^ a b 帝国秘密探偵社 1943, 北海道19頁.
  6. ^ 人事興信所 1928, カ199頁.
  7. ^ 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『河原 直一郎』 - コトバンク

参考文献

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