河喜多能達

日本の化学者

河喜多 能達(かわきた みちただ、嘉永6年8月2日1853年9月4日) - 大正14年(1925年4月3日[1])は、日本応用化学者

河喜多能達
河喜多能達

経歴 編集

熊本藩出身。1881年明治14年)、工部大学校を卒業し、工部大学校助教授、東京帝国大学工科大学助教授を務めた。1895年(明治28年)、応用化学研究のためドイツイギリスに留学。1897年(明治30年)、帰国し東京帝国大学工科大学教授に任命された。1899年(明治32年)、工学博士の学位を得た。1921年(大正10年)に退官し、翌年に名誉教授の称号を受けた。墓所は多磨霊園

栄典 編集

脚注 編集

  1. ^ 『官報』第3786号、大正14年4月9日。
  2. ^ 『官報』第6085号「叙任及辞令」1903年10月12日。
  3. ^ 『官報』第8321号「叙任及辞令」1911年3月21日。

参考文献 編集