泥谷 帯刀(ひじや たてわき、1886年明治19年)5月23日[1][2] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚

経歴 編集

泥谷嘉之吉の長男として[1]宮崎県児湯郡高鍋町に生まれる[2]宮崎中学校を卒業後、1907年(明治40年)拓殖大学を卒業[1]。同年渡台し、台湾総督府内務局に奉職する[1]1914年(大正3年)台南庁属を拝命し、翌年法務課勤務に転じ、1922年(大正11年)台中州竹山郡守に任じた[2]。のち台北州文山郡守に就任した[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 台湾新民報社 1937, 323頁.
  2. ^ a b c d 太田 1940, 180頁.

参考文献 編集