津田正昭

日本の江戸時代中期~後期の武士。加賀藩家老津田敬脩次男で、津田玄蕃家7代当主

津田 正昭 (つだ まさあきら、享保4年(1719年) - 明和7年(1770年)) は、加賀藩の家老、人持組津田玄蕃家第7代当主。

父は津田敬脩。兄は津田将順。子は津田政本通称求馬、内記。

生涯

編集

加賀藩家老・津田敬脩の次男として生まれる。分家の津田正賢の養子となり。元文2年(1737年)に家督と知行1000石を相続する。大小将、大小将番頭、御歩頭、御小将頭を務める。宝暦8年(1758年)、兄将順の死去により本家の家督と1万石を相続し、自分知の1000石を返上する。宝暦9年(1759年)、家老となる。

明和7年(1770年)死去。享年52。

参考文献

編集
  • 「加能郷土辞彙」