洪 榜(こう ぼう、1745年 - 1779年)は、中国代中期の学者。は汝登。徽州府歙県の出身。

生涯 編集

1758年挙人となる。梁文定がその時は安徽の学使(試験官)であったが、洪榜の賦をみて「詞は玉屑を霏(ふら)す。弟は兄に勝れり。文は風雲を抱く。伯は仲に勝れり」と評した。文章が梁文定に認められ、晋に留学し、天津の召試に応じて第一位で合格する。内閣中書に任命された。身を正しく保ち、孝心厚く友人には誠意があることで有名であった。

学問・著作 編集

経学に精しく、江永戴震の学説をいっそう深めた。洪榜は戴震の主著『孟子字義疏証』を読み、「この書は六経・孔・孟の主張に大いに貢献する。後の学者が高踏的な議論を考えるのでなく、人倫庶物について考察させるのは、戴震の業績となるだろう」と言った。

その著作として次のものがある。

  • 『述賛』2巻
  • 『四声韻和表』5巻

参考文献 編集

  • 清史稿』巻487
  • 『清史列伝』巻68
  • 『国朝耆献類徴』巻147
  • 『国朝先正事略』巻35
  • 『国朝漢学師承記』巻6
  • 『文献徴存録』巻8