浦和事件(うらわじけん)とは1948年埼玉県北葛飾郡吉田村(現在の幸手市)で発生した殺人事件。

概要 編集

1948年4月7日、夫が妻子を顧みずに家屋宅地全財産を処分して賭博にふけっていたため、前途を悲観した妻Aが親子心中をはかって3人の子供を絞殺した。しかし、Aは死にきれずに警察に自首した。

同年7月2日、浦和地裁が「犯行動機その他に情状酌量すべき点がある」として懲役3年執行猶予3年の判決を下した。

同年10月30日、参議院法務委員会は「検察及び裁判の運営に関する調査」を行うことを決議し、その一環として浦和事件を取り上げ、Aや元夫、担当検事らを証人として呼び出し、国政調査権に基づく調査を行った(占領軍の一部に「親が子を所有物視しているのではないか」との声があったことが契機になったと指摘されている[1])。

1949年3月に「検察官および裁判官の本件犯罪の動機、その他の事実認定は不満足であり、執行猶予付きの懲役3年の刑は軽きに失し当を得ない」という報告書をまとめ、量刑が軽いため不当であると結論づけた。

これに対し最高裁判所は同年5月20日に裁判官会議を開いて、

  • 「国政に関する調査権は、国会又は各議院が憲法上与えられている立法権、予算審議権等の適法な権限を行使するにあたりその必要な資料を集取するための補充的権限に他ならない。」
  • 「司法権は憲法上裁判所に専属するものであり、国会が、個々の具体的裁判について事実認定もしくは量刑等の当否を精査批判し、又は司法部に対し指摘勧告する等の目的をもって、前述の如き行動に及んだことは、司法権の独立を侵害し、まさに憲法上国会に許された国政調査権の範囲を逸脱する措置といわねばならない」

として強く抗議を申し入れた。

しかし、参議院法務委員会はこの申し入れに対し回答せず、同年5月24日に

  • 国政調査権は国会が国政全般にわたって調査できる独立の権能である。
  • 最高裁の申し入れは越権行為である

という内容の談話を法務委員長名で発表した。

これを契機に学界・国会・裁判所を巻き込んだ議論が展開された。

脚注 編集

参考文献 編集

関連項目 編集