海老名季貞

鎌倉時代の武将

海老名 季貞(えびな すえさだ、生没年不詳)は、鎌倉時代武将[1]

 
海老名 季貞
時代 鎌倉時代
別名 季定、源八
官位 権守
氏族 海老名氏
父母 父:海老名季兼
季久本間義忠季時荻野俊重
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略歴 編集

海老名氏村上源氏を祖とする家系で源有兼小野季兼を養子とし、相模国海老名郷に土着したことに由来する。[2]1156年(保元元年)の保元の乱では源義朝に随行するも、1159年平治の乱では平氏に仕えた。石橋山の戦いでは大庭景親に仕えた。[3]

脚注 編集

  1. ^ 西播磨古典叢書
  2. ^ 見聞諸家紋
  3. ^ 笹間良彦 『鎌倉合戦物語』 雄山閣出版、2001年、ISBN 4639017146

参考文献 編集

関連項目 編集